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[2004.06.20]
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殻のなかの雛鳥
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▼Chinese Build Free Net Encyclopedia(PCWorld.com)【英語】
http://www.pcworld.com/news/article/0,aid,116323,00.asp
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「卵の殻を破らねば雛鳥は生まれずに死んでゆく。我らが雛だ卵は世界だ。世界の殻を破らねば我らは生まれずに死んでゆく。世界の殻を破壊せよ」(『少女革命ウテナ』)。
quote:中国の非公式グループは,中国のネットユーザーのために中国語版ウィキペディアと呼ばれるオンライン百科事典を作成している。ウィキペディアは英語版では26万を超える項目数となっており,50の言語で60万を超える項目数がGNUライセンスで自由に利用できる。この中国語版ウィキペディアは,中国本土の人を共産主義の検閲から解放することになりえるが,しかし共産党政府は大きなファイアウォールで,本土の人をウィキペディアから切断するかもしれない。いまのところ,項目はすべて中立の視点で書かれており,それが中国による検閲を受けない理由となっているが,1989年の天安門事件に関する項目も含めて,いつ中国からのアクセスが遮断されてもおかしくない。
人の意見はばらばらだ。コピープロテクトCDに反対していたって,では著作権をどうしたらいいかを述べてみると,人それぞれ,かなりの温度差がある。「反対するだけなら誰でもできる」というのは確かにその通りで,ではダメだといういまと違う,どのような社会を構築するのか,が大切である,が,そこでただ反対するだけとは異なる,人それぞれのさまざまな意見が明るみに出てきて,場合によっては新たな問題も起こる。だが。
いま考えて,天安門事件は早急な改革であっただろうか? あのとき多くの学生たちが立ち上がり,そして虐殺されたのは当然の結果だったと云えるだろうか? そしてその後の中国は,正しい道を進んでいるだろうか? と部外者ながら考えて,あのとき行った弾圧を正当化できる人は少ないのではと思う。そしてふと,あのときの共産党政府のように,とても一般常識では理解できない,謀略と策略を繰り返して自らの利益を守ることのみに精を出している人たちが,いまの日本にもいるぢゃないかと気付く。著作権を守るという言葉で,変態行為を繰り返し続けるそれらの人々を,わたしたちは放っておいてもいいのだろうか? その先に,まともな文化などあるのだろうか? 中国語版ウィキペディアをみながら,そんなことを考えている。(追記:BBSで情報をいただきました。6月3日から中国共産党はウィキペディアへのアクセス遮断を実施しているそうです(ITmedia Newsの記事))
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